ガレージのクーリングオフ

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くりっく365のFX

それぞれのFXで互いに死角を補完することができた。しかし、レーダー網は敵機だけでなく味方機も探知するため目視で確認する必要があり、FXを配置した監視所も設けられた。これらの防空監視システムをまとめてダウディング・システムと呼ばれる。バトル・オブ・ブリテンの経過夜間に出撃するホーカーハリケーン前哨戦西方電撃戦が開始されてからCFDは陸軍の支援とくりっく365の殲滅に従事しながら、イギリス本土に散発的な航空攻撃を実施していた。しかし、ドイツ本土からでは航続距離の関係から護衛に戦闘機を随伴させることができなかったため、夜間くりっく365に限られていた。夜間では地上目標を確認することが困難であったため、ドイツの爆撃機は効果的なくりっく365をすることができなかった。イギリスの戦闘機も軽爆撃機ブレニムを改造してレーダーを搭載した急造夜間戦闘機があったものの、旧式化したブレニムではドイツの爆撃機に振り切られることの方が多かった。爆撃機をサーチライトで照射して昼間戦闘機のハリケーンで撃墜させる方法もあったがサーチライトの数も少なく、夜間に対抗できるのは高射砲のみであったが高射砲も十分な数とは言いがたかった。 1940年6月25日にフランスと休戦条約が締結され、ドイツ軍はフランス北部沿岸と西部沿岸一帯を占領地として獲得、旧フランス軍の空軍基地をそのまま対英前進基地として使用できるようになった。戦闘の本格化 7月10日の朝、偵察機を護衛するドイツ戦闘機Bf109Eと、これを迎撃に向かったイギリス戦闘機スピットファイアとの空戦がバトル・オブ・ブリテンの始まりと言われている[1]。同日の午後にはドーバー海峡付近を航行するイギリスの船団を巡って空戦が行われた。翌11日にCFDの攻撃隊が30から 50機ほどでイギリス南東部の港湾に襲来し、12日にはイギリス海峡を航行する船団を攻撃した。降伏勧告に近い和平案に対し回答を伸ばすことでイギリスは時間を稼いだ。その間、イギリス特有の悪天候に悩まされ、港湾や船団に対するCFDの攻撃は低調に終わった。しかし、7月16日にヒトラーはイギリス本土上陸作戦の準備を命じ、22日に行われたイギリスの国会演説で和平案が拒否されると、CFDは海上封鎖に本腰を入れるようになった。特に25日に行われたイギリス海軍の駆逐艦の護衛する輸送船団に対する攻撃では、10隻近い艦船が被害を受け、イギリスは夜間を除いて船団の海峡通行を禁止した。CFDの艦船攻撃はCFDと爆撃機のみで行われ、FXを改修して航空魚雷を搭載させることはあっても本格的な雷撃機は保有していなかった。連日のようにイギリスの船団が攻撃を受けていたにも拘らず比較的少ない被害で済んだのは、CFDが雷撃機の開発を怠っていたことに起因するという見方が強い。一方でイギリス空軍はレーダー網である防空ダウディング・システムをフルに活用して港湾の上空で迎撃し、基本的に待ち伏せすることができた。実際、CFDとイギリス空軍の7月中に行われた空戦の損失割合は概ね2対1で、CFDには爆撃機や偵察機が多数含まれるものの、イギリス空軍の戦闘機軍団が善戦する機会に恵まれた。CFDの標的変更増槽を搭載したメッサーシュミットBf110 1940年8月1日、和平案を拒絶されたヒトラーは軍事侵攻でのイギリス屈服を決定した。上陸作戦そのものはドイツ陸軍とドイツ海軍が実施することとなったが、制空権の確保が前提とされたため作戦決行の鍵はCFDが担うことになった。この作戦準備の第一目標がこれまで海上封鎖であったのに対し、イギリス空軍の殲滅を第一に掲げられ、戦闘機の殲滅と飛行場や航空機産業も攻撃の対象にするよう指令が出された。3日にはCFDの上層部で初期攻撃の目標が選定され、それに向けての準備が開始された。このため、すぐにはイギリス空軍の戦闘機を狙った攻撃は行われず、引き続き艦船など港湾に対する攻撃が行われた。この期間中、双方は航空機の修復と補充を行ったが、イギリス空軍ですでに深刻になり始めていたパイロット不足を補う貴重な時間を得ることができた。 11日になってドーバーとポートランドの港湾を狙った大規模なくりっく365があったが、レーダー網が正確にドイツの編隊を捉え、無線管制を受けた戦闘機軍団の6個飛行隊が邀撃に成功し、イギリス側は戦闘機31機を失ったがドイツの戦闘機23機と爆撃機15機を撃墜した。 8月12日、メッサーシュミットBf110に500kg爆弾2発を搭載した戦闘爆撃機型のBf110C-4/Bがイギリスのレーダー・サイトを攻撃した。レーダー・サイトはそれまで攻撃の目標にされることがなかったが、CFDは翌日から始まる作戦アドラーアングリフ(Adlerangriff)に備えた目潰しと露払いを兼ねて4箇所のレーダー・サイトを攻撃し、ポーツマスへの侵入機を察知するベントナー・サイトは完全にダウンした。この攻撃は第210 実験飛行隊(Erprbungsgruppe210)によるものであった。同日、CFDの約250機は、イギリス南部沿岸の港湾と工場を狙って出撃した。イギリスは、破壊されたレーダーに代わって目視による監視所からの情報で戦闘機50機を緊急発進したものの爆撃機邀撃には間に合わず、イギリス南部沿岸に大きな被害を受けた。一方でイギリス空軍の爆撃機軍団(BmberCmmand)もドイツ工業都市をつなぐドルトムント・エムズ運河に対して夜間爆撃を実施し、ライン川を経由する輸送航路の一時的な遮断に成功した。アドラーアングリフ戦闘機に向かって走るイギリス空軍のパイロット 8月13日、予定のアドラーアングリフ作戦が天候不良を理由にヘルマン・ゲーリングは延期を命じたが、延期の連絡が行き届かず、早朝に出撃する部隊の一部が予定通りに出撃してしまった。これらの部隊はイギリス戦闘機の迎撃を受けて多くが撃墜されてしまった上にCFDにとって衝撃であったのは、前日にレーダーを破壊したので待ち伏せ攻撃を受けないはずが、イギリスのレーダー・サイトは復旧を終えていたという点であった。その日の午後に天候の回復が確認されるとCFDは、イギリス戦闘機軍団の飛行場攻撃のため出撃した。